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意識高い系あるある

190コメント2016/04/23(土) 05:22

  • 86. 匿名 2016/04/13(水) 21:46:25 

    意識低い系の人々は、「頑張るのは恥ずかしい」という価値観を抱いています。「全然ベンキョーしてねーよ」「あいつ頑張っちゃってダサくね?」といった、ヤンキーっぽい価値観、といってもいいでしょう。

    彼らは、同じく「頑張るのは恥ずかしい」という価値観をもった仲間同士で群れることになります。そのコミュニティは一見居心地がいいものですが、「おまえ、頑張っちゃってないよなぁ??」という相互監視・同調圧力がよく効いたものでもあります。

    これは一度入ってしまうとそう簡単に抜け出すことができない空間です。一念発起して「頑張っちゃった」時点で、そのコミュニティからは排除されてしまうでしょう。いわく「あいつ最近意識高くねwww」。

    そういう磁場の中にいる人たちにとっては、諦めないことよりも、諦めることの方が合理的に見えるようになります。ムダな頑張りをして、これ以上「損」をしたくない。仲間たちの前で「恥」をかきたくない。嫌われたくない。

    「頑張るのは恥ずかしい」という価値観は短期的には救いをもたらしますが、相互監視の力学が駆動した時点で、自縄自縛をもたらします。「意識低い系」の人たちは、そのことに気づかず、弱みを認め合い、動けなくなります。「頑張るのは恥ずかしい」という価値観を受け入れることは、「毒薬」を飲み込むようなものでしょう。なぜそんな毒薬に頼ることになるのか。彼らには自分に対する自信が欠けているのです。自信がないがために、「オレには何もできない」と開き直り、「頑張っちゃってるヤツら」を「意識高い」と否定するのです。

    彼らに対して「自分に自信を持てよ!おまえなら世の中変えられるよ!」と伝えたところで、「それはアンタだからできたんだろ?アンタ大卒のエリートじゃん。オレらには無理だよ」と暖簾に腕押しとなるでしょう。

    彼らは自分の無力さを肯定してしまっているので、自分が何かを変えられるとは考えません。もっとも変えやすいはずの「自分自身」ですら、変えられると思えないのです。

    この心理の背景にあるのは、「自分の力で何かを変えることができた」という成功体験の少なさと、「あなたには可能性がある」という他者から(たとえば親、教師)からの肯定でしょう。成功体験と自己肯定感が欠如した人は、長い人生の中で諦めを身につけ、「自分は無理だ。何かを変えるのは誰かの仕事だ」という態度に至ってしまいます。

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