ガールズちゃんねる

素朴な疑問(大昔編)

451コメント2016/08/23(火) 14:51

  • 449. 匿名 2016/08/18(木) 17:18:41 

    >>443
    この間、細川幽斎様の御子孫の細川元首相の陶器と絵画の展示会行ってきたんで……

    関ヶ原番外編~自分たちも関ヶ原以外で頑張ってました!細川幽斎編~


    関ヶ原開戦50日前、西軍は関ヶ原の前哨戦として東軍方の細川忠興の父である幽斎の居城の田辺城(京都府舞鶴市)を西軍は取り囲む。

    先日、大坂にて忠興の正室であるガラシャの自害を聞いたばかりの幽斎は怒り心頭。
    手勢は僅かではあるが城を枕に討ち死にする構えのため、その戦意の高さは尋常ではなかった。

    若い頃は暴れ牛を素手で殴り倒した剛力の持ち主にして武勇の誉れ高い幽斎は文化にも通じており和歌の師匠として、朝廷や武家にも多く弟子を抱える才人であり、古今和歌集を正しく理解できる当時唯一の人物でもあった。

    当然、西軍側の武将たちの何人かは幽斎の和歌の弟子であるため「師匠殺しの汚名は御免被りたい……第一幽斎に怨みはない。」と、関ヶ原始まる前から崩壊の前兆があった西軍。西軍グダグダである。

    そのうち降伏するだろうとノンビリ構えていたら、流石は暴れ牛を素手で殴り倒した男幽斎。
    なかなか手強かった。

    城を囲むこと早一月……ここで幽斎に死なれたら困る勢力が加わる、幽斎の和歌の弟子である親王が兄の帝を担ぎ出し停戦命令を出したのである。

    前述の通り、幽斎は古今和歌集を正しく理解できる唯一の人物でもあるため、幽斎に死なれると古今和歌集の正しい解釈が永久に失われ、日本の文化が古典が衰退する憂き目に遭う。
    それを避けたい朝廷は「幽斎に死なれたら、古今和歌集がわからなくなるから困る」と何とも微妙に美しくない理由で停戦命令を出したのである。えてして社会なんて何時の時代もこんなものであるから仕方ない(何回か親王が幽斎に説得の手紙を出したが、幽斎が御丁寧な返しながら全く言うことをきく様子がなく仕方なく天皇を担ぎ出すしかなかった。)

    天皇の命令のため両軍は停戦となり、負け戦であるにも関わらず幽斎は平然と田辺城を後にしたという。そして西軍の何人かは「師匠殺しの汚名」を被らずにホッとしていた。どこまでも纏まりがない西軍である。

    そして停戦した日が何と、関ヶ原開戦の2日前。
    当然、田辺城を囲んでいた西軍は本戦に間に合うはずもなく、援軍にと思ったが、大多数の武将の予想を遥かに上回り関ヶ原は8時間で終わってしまったのだった。

    後でわかったことだが……小早川秀秋が裏切った軍勢の数と田辺城に幽斎が足止めした西軍の数とがほぼ同数だったことが判明。

    幽斎がどこまで狙ったかは不明だが、幽斎の足止めを西軍が後少し早く切り上げれば、もしかしたら関ヶ原は西軍が勝っていたのかもしれない。

    そして、天皇の命令があったから開城したのに、何故か幽斎は息子の忠興に「何故開城した!死ななかった!」と意味不明な叱責を受け、こいつとは永遠に理解できないと思ったのか、息子の領地である熊本ではなく、京都の東山に正室と隠居することになる。正室と風流三昧を送りながら幽斎は時々


    (どこで……忠興の子育て間違えたのだろう……。)

    と思ったとか思わないとか。
    子育てはあやまっても細川家は現代まで途中空中分解しながらも名家として続くのであった。

    +1

    -0

関連キーワード