素朴な疑問(大昔編)
451コメント2016/08/23(火) 14:51
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394. 匿名 2016/08/18(木) 00:14:07
>>389
江戸時代の江戸は、参勤交代で国許を離れている武士、商家に仕える奉公人や職人など、とにかく男余りでした。
そのため色子宿も多く、遊廓でも一晩遊女を貸し切りにするのは大金が必要で、遊女は一晩で数人相手をしなければいけなかったそうです。(もちろん遊廓の格や、遊女の位によって変わると思いますが)
反対に、寺社が多い、京の都は、女余りでした。
そのため遊女も江戸のように「廻し」をする習慣はなく一晩につき一人ないし二人が通常だったようです。
東海道中膝栗毛の北さんとやじさんも、ただの仲良しだけでなく昔は念弟として契っていた仲だったとか…婚姻に関係ないネタばかり、すみません。
平和だと地域差はあるとはいえ、男余り。
戦国や近代の戦争する時期は、産めよ増やせよの号令をされても、とにかく男が戦争で死ぬので、女余り。
あと、衛生状態と医療を考えれば、出産で命を落としたり、乳幼児の死亡率も高かった時代であればあるほど、権力者は一夫多妻にして、自分の血統を残そうとしたと考えられます。
長々、失礼しました。+11
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