神様かな?って思える人
92コメント2024/05/07(火) 02:10
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31. 匿名 2024/04/28(日) 16:44:04 [通報]
>>3
愛子さまの身につけてるパール全部で100万越えるでしょ
愛子さまの曾祖父さんの江頭豊が関わった水俣病の被害者に支払われた額知ってる?
30万だよ。
あなたの能面みたいな顔の耳にぶら下がってる飾り物よりも人の命が安いの
あなたは水俣病の加害者側の関係者としてどんな気持ちでそれを身に付けてるのかね。
あなたは経済優先で蔑ろにされゴミのように捨てられた水俣病患者たちの犠牲の上に裕福に暮らしてるんですよ、よく心得てね
当時のチッソ社長江頭豊 (愛子さまの曾祖父さん)
「死んだ魚を食べる乞食がカネせびりに来たな」
「腐った魚を食べるから汚い病気にかかる。伝染るから近づくな」
江頭が経営権を握った後も、しばらくの間、 チッソは自らの工場排水が水俣病の原因であることを一切認めようとはしなかったのである。 患者といっさい交渉をもとうとしなかったのはもちろん、 驚くべきことに江頭はそのまま68年 まで水俣湾に水銀を延々とたれ流し続けた。 「法的責任がない」どころではない。
江頭自身が殺人行為に加担していたことは動かしがたい事実なのである。 ようやく自らの責任を認めたのは、水俣病発生が発覚してから10年以上も経過した1968年のことだった。
冷酷な江頭の患者対策 謝罪後もチッソの無責任な対応は全くかわることがなかったのである。 「補償は誠意をもって話し合う」というセリフの舌の根も乾かぬうちに、江頭はさまざまな画策を始める。 結局のところ、この間、江頭は水俣病患者にたいする補償交渉などしなかったに等しい。 交渉から逃げ回り、ただただ「金額決定」の引き延ばしを図り続けただけである。 会長時代、患者や報道カメラマンを暴力集団に襲撃させた。 千葉県の五井工場に抗議に訪れた「自主交渉派」の水俣病の被害者やユージン・スミスら取材陣をチッソは暴力集団に襲わせた(1972・01・07) ユージン・スミスは片目を失明するほどの重傷を負わされたのに告訴せず、 時間とエネルギーを写真に向け、6年後に負傷からの後遺症が元になり、死亡。 暴力団(チッソの下請け業者扇興運輸)は、会社の敷地から出てきて、 襲撃後ゲラゲラ笑いながら敷地内に戻っていった。+7
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54. 匿名 2024/04/28(日) 17:12:58 [通報]
>>31返信
高度成長期に公害問題が大きな社会問題だったのは事実で多くの方が犠牲になった
問題ある企業の関係者に向かって、あんた達がかた⚪︎になってみろとか私も友達と楽しく映画館とか行きたかったと怒号が飛び交う場面も大きく報道された
その頃の事は自分も忘れてはならないと思うし犠牲者が居て環境問題が議論されて来た
無責任な態度だった企業や責任者が批判されるのは当然だと思う
ただ、愛子様はお立場があり失礼のない服装をしてるのであって、それを批判するのはどうなのか?
真摯に努めて居ると思う
公害被害者である方が愛子様に対して何か申してるとか聞いたこと無いですが…
心得ろとか言うのは天皇陛下がおっしゃるのならともかくガル民が言うのも違うと思います
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